ネパール大震災緊急支援
ヨタム・ポリツァー ネパール震災緊急支援プロジェクトリーダー
現地報告ブログ #01 2015/4/28
By Yotam Polizer – Nepal Head of Mission
Probadと出会ったのは、カトマンズで最も人口密度の高いエリアの一つであるゴンガブの路上だった。倒壊した寺とねじ曲がった建物、そして瓦礫の山。かつて3年半暮らして見慣れていたはずの道が、突然全く見知らぬものになってしまった気がした。
Probadは、地震被害のアセスメントをする明るいオレンジのシャツを着たイスラエイドチームに気づいて駆け寄り、彼の母親と二人の姉妹が瓦礫の下のどこかに埋まっていると言った。私がネパール語を話すと気付くと、Probadは自分が震災後ずっとその場所にいたこと、そしてまだ望みを捨てていないことを話してくれた。そして我々のそばからずっと離れなかった。疑いなく、彼は今まで出会ったなかで一番情熱的で説得力のある14歳だった。
同じブロックには、他にも素手で瓦礫を動かしている人たちの姿が何人も見えた。瓦礫の下に、彼らの家族もまだ閉じ込められていると話してくれた。その数ちょうど22人。愛する家族一人ひとりの名前が我々に伝えられた。
幸運なことに、イスラエイドチームはここまでの36時間で、イスラエルから到着した15名の探索救助部隊(Search and Rescue:SAR)の専門家を含め、36人に増えていた。多様な専門性をもち、トレーニングを受けた才能ある男女のメンバーが、全てを置いて被災者に手を差しのべる、という一つの目的のために集まった。着陸直後、チーム全員で滑走路からそのまま現場へと向かった。
20年以上の経験をもつイスラエイドの探索救助チームのリーダー、Eran Magenが、チーム全員にいくつかの基本的ノウハウを伝え、安全に関する注意とリスクの確認をした。目の前には大変な仕事が待っていたが、チームはやる気に満ちていた。その中には、何か手助けをしたくて飛びこんできたProbadもいた。
地域の公共機関との密接な連携のもと、ボランティアのコミュニティはすぐに100人の頼れる作業者の集団となった。一人ひとりが、瓦礫や建物の残骸を受け渡すバケツリレーの大切な一部となった。少なくとも200人が我々の周りに集まり、行方不明の親戚や友人、隣人たちの生存のサインがないかを辛抱強く待っていた。
瓦礫の撤去を手伝いコミュニティのボランティアたち
突然、全てが止まった。
シャベルやつるはし、ドリルは地面に置かれた。Eranは、経験ある地質学者が使うテクニックを使って、汚れやホコリをのみとブラシで注意深く取り除いていった。
するとそこには、Probadの9歳の妹Mayaの遺体があった。
ショックを受けたProbadは震えながら父親のそばに駆け戻り、彼に抱きついて泣いた。
“Yo Mero Manchhe Ho!”
彼は父親に「僕たちの家族だった!」と伝えた。
この瞬間のことを私は決して忘れないだろう。
数分後、Probadは顔を高く上げ我々の元に戻ってきた。まるで、私たちを慰めるかのように。